2022.01.13
日曜日、教会にはいつも車でゆく。
運転中にむかしのことを“しんみり”思い出している自分に気付くことがあって、可笑しくなる。
忘れることができないあの人たち。
誰からも白い目で見られ、からだがバラバラになるほど苦しかったときに、心の拠り所となってくれた団体職員のRさん。片方の目が斜視で、どちらの目を見つめて話したらいいのか迷った。Rさんに会えないときはつらかった。
あるセミナーで知り合ったSさん。私より年上のご婦人だったが、Sさんの話題は私の住む世界と違っていてとても楽しかった。心に深い傷を負っておられたようだった。
ヒーリング・ミュージックのテープを頂いた。
カトリックの道を歩み始めて間もなく、遠い地を旅行したときにお会いしたKさん。まだ若いが離婚歴のある女性だった。音楽や絵の話しで心が通い合ったが、それきりで終わってしまった。
多くの出逢いと別れがあった。
私は、別れたり疎遠になった原因は、いつの時も自分の方にあったという思いを捨てきれなかった。
――なぜあんなことをしてしまった(言ってしまった)のだろう
私はいつもこんな風にして、友だちを捨てている
その思いに捕らわれると、はるかな年を過ぎた今も胸が痛む。
しかし、あるとき、私は教えられた。
私は間違っていた。
私の性格が友を捨てる原因だったかどうかなんて、些細なこと。
私の人生は、もう会えなくなったたくさんの人たちに支えられていたのだ。
いや、そうじゃない。
あの人たちは私の人生の一部になってくれていたのだ。
人生を織物にたとえれば、縦糸が私で、横糸が私が出逢ったたくさんの人たち。
あの人たちがいなければ、私の人生という織物はできなかった。
私が出逢ったたくさんの人たちに、心から感謝したい。
そして伝えたい。
ありがとう。嬉しさで胸がいっぱいです。
たとえこの世でお会いする日がなくても、
死を迎えるときまで、私は決して忘れないと。
(銅版画 F091「わたしはいつもあなた方と共にいる」Sep.19,2010)
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