2020.10.24
神を試してはいけない。
しかし神はアブラハムを試された。
〈「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(創世記22・2)〉
アブラハムは神の命じられたとおり、モリヤの地に行き、息子イサクを焼き尽くす献げ物としてささげるために祭壇を築き、薪を並べ、その上に息子を縛ってのせ、刃物を手に取って屠ろうとした。
そのとき、神の御使いがアブラハムに呼びかけ「その子に手を出すな」と制した。
「アブラハムが神を畏れる者であることが分かったからだ」と書かれている。
このシーンはレンブラントの絵にもあり、広く知られている。
しかしわたしは納得できない。
誰をも深く愛してくださる神が信仰を確かめるため、人を殺せと命じるだろうか。しかも宝に等しいわが子を。
わたしはもやもやする気持ちを教会の神学生に尋ねたことがある。
神学生はわたしの疑問を理解してくれ、ある一人の神父に尋ねてみたとのこと。
その神父の回答は次のようだった。
「神が独り子イエスを世に遣わし、人の罪の贖いのため十字架の死を与えられたことに通じている」
この説明でもわたしの疑問は晴れなかった。
神は正しいことをされる方だと信じている。
しかし、わたしのこの疑問は生涯晴れないだろう。
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